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面邪教団

  第1話

 「おい」
 「きゃあぁぁっ」
 不意にポンと肩を叩かれ、レンタルビデオショップから借りてきた一昔前のホラー作品の映しだされたテレビ画面に見入っていた翠は思わず悲鳴をあげてしまった。
 場所は東京の外れ府中市の一角にある閑静な住宅街。夜の十一時ということもあってこの十七才の少女の悲鳴は外までよく響いたに違いない。少なくてもテレビのスピーカーから発せられたホラー映画の主演女優の悲鳴をかき消すぐらいのボリュームはあった。
 「な、何だよ。いきなり叫びやがって、びっくりすんなぁ」
 そう言ったのは翠の後ろに立つ少女の方だ。年の頃は翠と同じくらいか、ショートカットのボーイッシュな美少女だ。
 「びっくりしたのはこっちの方よ、肩叩く前に一言くらい声をかけてよ……、」
 「さっきから呼んでたよ。お前がテレビに夢中になってたから聞こえなかっただけじゃないか」
 振り返った翠は不満げに反論する少女、鳥羽恵(めぐみ)の姿を観てから呆れ返った口調でこう言った。
 「あんた……、なんて格好してんのよっ!」
 「ん?」
 恵は少女と言うよりは浅黒い肌と野性的なイメージの顔立ちのせいか、ちょっとした美少年といった感じに見える。街を翠と一緒に歩いているとよくカップルと間違われるくらいだ。肩の下まで伸びた髪を首筋でおさげに結んでいる。ここまではいいとして問題はその下である。首から掛けたスポーツタオル以外彼女は何もまとっていなかった。成長期にある美しい女性の裸体が惜し気もなくさらされている。肌がうっすらと朱に染まっているのを観ると風呂上がりなのだろう。
 「だから」
 恵は別にそれを気にする様子もなく言った。
 「着るもんがないから持ってきてって言ってたんじゃないか」
 そこへドアを開けて翠の一つ下の弟、宏が顔をだした。
 「何の騒ぎ、姉き……、」
 そういうと彼の視線は一点に釘づけになったその先に何があるかといえば言うまでもなく恵がいる。
 「め、めめめ恵ねーちゃん、」
 「出てっけっての!」
 すかさず翠が一喝する。
 慌てて飛び出す宏の背中を見て翠は洋服棚から着替えを一式取り出すと傍らの恵に投げてよこした。
 「あんたもいつまでもそんな格好してるの!」
 「サンクス」
 それを受け取ると恵は慌てて着替えをはじめた。
 「まったく……、」
 翠がそう言って再びテレビの前に腰を下ろし、見過ごしてしまったビデオテープを先程の場面にまで巻き戻そうと、リモコンの巻き戻しボタンに手を掛けたときである。
 突序としてリビングに置かれた電話のベルが響いた。
 「もしもし神崎です」
 三回ほど鳴ってから廊下の向こうから受話器を取ったらしい宏の声がした。
 「姉き。電話」
 「えっ?」
 翠は慌てて立ち上がると電話のあるリビングルームへと向かった。
 「誰から?」
 「さあ?女の人だけど」
 「相手の名前ぐらい聞いてよ」
 そう言うと翠は宏の手から受話器を取った。
 「もしもし、お電話替わりました」
 『翠さん?』
 電話の向こうの声が言った。
 その声に、いやその聞き慣れない言葉遣いに翠は首を捻った。
 あたしの知り合いに、あたしのこと翠さん≠ネんて呼ぶ子いたっけか?
 その疑問に応えるように電話の向こうの人物は自分の名を名乗った。
 『覚えてない?あたし、日和優子』
 「ひわ?ああ中学校の時同じクラスだった日和優子さん」
 ようやく思い出した彼女は驚いたように言った。
 「どうしたの?久しぶりじゃない、今どうしてるの?」
 しかし、電話の向こうの日和優子はそんな明るいやりとりに応じはしなかった。
 『お願い救けて……、』
 受話器から震える声で優子が言った。声が半ば泣いている。
 向こうの緊張を感じ取った翠は怪訝な顔つきになって問い返した。
 「どういうこと?」
 『あたし、殺されるかもしれない。お願い救けて……、』
 そう言って電話の声はついに泣きだしてしまった
 「ちょっと!ねえ、殺されるって、一体どいうことなの?」
 事態が飲み込めないがかなり切羽詰まった状況であることは受話器から伝わるの雰囲気で感じとれた。
 「今何処にいるの?」
 彼女は電話の向こうで戸惑う優子に向かって言った。
 「泣いてないで答えて!今何処にいるのっ!!」
 その気迫のこもった声に思わず泣き止んだ優子が小さな声で応えた。
 『こ、公園』
 「どこの?」
 『駅の前の商店街を抜けた先にある……、」
 晴美公園?
 「今いる電話ボックスから右手にすべり台がある?」
 『あ、あるわ』
 「晴美公園ね」
 翠の横で話を聞いていた恵が素早く動くのが見えた。恵の動きは実に機敏であった「わかった。今直ぐ言くからそこで待ってて」そう言うと翠は宏を呼んで彼に受話器を渡しす。
 「宏、彼女と話してて」
 「何を?」
 「何でもいわ!恵」
 自分と恵の上着を持つと翠は慌ただしく恵を追って玄関を出た。

 最後まで事態が飲み込めず茫然とその様子を見ていた宏は思い出したように受話器を耳に当てると言った。
 「もしもし。今、姉たちがそっちに行きましたから。待っててくださいね。もしもし聞こえてます?もしもしもしもし?」
 だが、受話器の向こうから二度と優子の声が聞こえることはなかった。

 玄関を出ると恵が既にホンダNS−1のエンジンを噴かして待っていた。
 翠は恵から受け取ったヘルメットを被ると彼女の後ろに跨り背中から恵の胴体に腕を回す。
 50CCの二人乗りは交通違反であることは当然承知の上だが緊迫した状況下であるので目を瞑る。
 翠が後ろに乗ると同時に恵がスクーターを発進させる。
 「優子さんとは中学三年のときの同級生なの」
 夜の道路の上を疾走するスクーターの後に腰掛けながら、翠は運転するいる恵にいった。
 「仲よかったの?」
 ハンドルを握りながら恵が言った視線は前方に向けられたままである。
 「そんな、たいしたもんじゃなかったわ。無口であまり人交際をするのが上手い娘じゃなかったし……、一〜二度誘い合わせて映画を観に行った程度。ただ……、」
 翠は照れ臭さを感じながら言った。
 「彼女何かあると何かとあたしのところに相談にきてたのよ」
 恵がハンドルを右に切った。
 横断歩道を渡り反対側の歩道にスクーターを乗り上げその上を進むとやがて公園の入り口が見えてきた。
 「てやっ!」
 恵は掛け声と共に公園の中にスクーターを乗り入れた。
 「晴美公園」何の飾り気もなくそう掘られた公園の入り口の門を入ると左手の隅に電話ボックスが見えた。
 翠はスクーターを飛び降りて優子がいるであろう電話ボックスに駆け寄った。
 が、電話ボックスのなかに予想していた人物の影はない。
 翠は電話ボックスのドアを開けるとその中に入った。
 「翠!」
 恵の声に中を見渡していた翠は振り返る。その視線の先では恵がガラスの一点を凝視しながらを表情を歪めていた。
 恵の視線を追う。
 ボックスの四方を囲むガラスの壁に人差し指が入るほどの小さな穴が開いていた。その穴を中心にして細かな亀裂が板硝子の上を走っている。
 「まさか……、」
 翠は一言呟き、視線を緑色の電話機に向けた。
 受話器は電話機に掛けられており、排出口に使用済みのテレフォンカードが顔を出していた。
 彼女はそれを引き抜き目の前に掲げて見ると、上着のポケットにしまった。
 不吉な想像が脳裏を掠める。
 電話ボックスを出た翠は恵に言った。
 「彼女、何処へ行っちゃったのかな?」
 「知るかよ」
 素っ気なくそう応えた恵は辺りを見回してからぽつりと呟いた。
 「嫌な予感がする」
 その言葉に翠自身も背筋に悪寒が走るのを感じた。
 恵の感はこと嫌なものに関してはよく当たる。
 恵の場合、感というのは霊的と言うよりも本能的な物に近い。野生動物の生存本能に基づく敏感な危機感知能力。恵は周囲の気配から、自分たちに向けられる殺気を敏感に感じとることが出来る。翠は恵の言う嫌な予感と言う言葉がそう言う意味を持っていることをよく知っていた。
 恵の全身が今、何者かの殺気を受け危機を感知している。
 そのとき、公園前向い側の路上でカーブを切った車のサーチライトが偶然闇の中に翠たちの姿を浮かび上がらせる。
 ほぼ同時に傍らに立っていた恵が飛んだ。茫然としている翠を突き飛ばし、自らも地に伏せる。
 その直後。
 乾いた音を立てて電話ボックスのドアガラスがが砕け散った。
 「な、何なの?」
 「頭を上げるなっ!」
 鋭く叱咤した恵に起き上がろうとした翠は頭を叩き伏せられた。
 その上を二発目の銃弾が掠め飛んだ。
 ――何?
 翠は狙撃者の位置を探り当てようと闇の中で瞳を巡らす。その横で恵は目の前を凝視している。
 一発目二発目とも銃声はない。消音装置を付けているのだろう。音では狙撃者の居場所を推測できない。
 横を見ると恵が前方を指差す。
 彼女の指の先に視線を向けると、翠たちが入ってきた公園の入口。その向かいの路上に一台の黒塗りのセダンが、まるで周囲の闇に溶け込む様にして止まっていた。その運転席の窓が微かに開けられている。
 恵はそこへ鷹の如く鋭い視線を向けている。
 翠はふと気付き視線を電話ボックスに向けた。
 先程の銃撃で飛び散った破片が、銃弾があの車から撃ち出されたことを物語っていた。
 恵の目は一発目が電話ボックスのガラスを打ち抜いた瞬間、砕けたガラスが飛び散った方向をしっかりと見抜いていたのだ。
 恵がわざと体を起こす素振りを見せた。
 車の開けられた窓の一点が赤く光った。
 次の瞬間、直ぐ様身を伏せた彼女の頬を銃弾がかすった。
 ――あの車の中。狙ってる?あたし、たち……を?
 翠は自分達に迫る死の危険を感じとった。
 赤外線ゴーグルをしているのか、それともこの暗がりの中で正確に獲物を捕らえるほどの目の持ち主なのか。どちらにしてもこちらの位置は向こうに見えている。へたに動けば確実に頭に鉛弾をぶち込まれることになるのだ。
 視線を向ければ恵も悔しそうに前方の車両を睨み付けている。
 恵といえどやはり銃弾を避けてあの車の位置まで駆け抜けることは不可能である。
 銃を持った相手に対して今の二人に出来る事は、こうして地面に身を付せ、姿を隠すことしかない。
 恵は息を潜めて地に伏せながら、相手の動き待っている。翠はそんな彼女を横目に見ながら身体を走る緊張と恐怖に耐えるしかなかった。
 闇の中で見えない狙撃者との睨み合いになる。
 時折、道路を走り抜けていく車の音。それが次第に耳から遠ざかっていく。
 静寂が辺りを包む。そして、耳に響く心臓の鼓動。
 ずいぶん長い間その音を聞いていたような気がした。
 しかし、現実の時間に当てはめればそれはほんのわずかの間であったに違いない。
 不意にエンジンの吠える音が響いた。
 それを聞いた恵が直ぐ様立ち上がり、走りだした黒い車めがけて駆け出した。
 翠も直ぐに立ち上がろうとした。
 この暗闇の中でナンバーまでは不可能なまでも車種ぐらいは確認しておきたかった。
 しかし、極度の緊張感に強張った身体は思うように動かない。
 恵が公園の入り口まで駆けつけるが、その時すでに狙撃者の車は走り去っていた。
 その方向をしばらく見ていた恵が、やがてため息を一つつくと踵を返し、まだ地面に伏して茫然と成行を見つめている翠のもとにやってくる。
 「もう立ってもいいぜ。あいつは行っちまったよ」
 そう言って手を差し出す。
 その手を取って立ち上がった翠は目線を足元に向けたまま言った。
 「一体……、何なのあれは」
 「たぶん、日和優子を襲った犯人だろう」
 「そんな事は解ってるわよっ!」
 翠は顔を上げて恵を睨み付けると怒鳴った。
 恐怖のあまり顎が震えて怒鳴らなければ言葉にならなかった。
 「あたしが言いたいのは、なんで日和さんが……、なんであたしたちが……、あんな目に、あんな……、」
 まだ、精神が錯乱しているのが自分でも解った。が、込み上げてくる感情を押さえきれず、翠は恵に向かって喚き散らす事しかできなかった。
 その肩に恵の両手がゆっくりと置かれた。
 ギュッと力強く肩を握られたかと思うと、声がぴたりと止まった。
 「解らないよ、オレにも……、」
 恵が手を下ろし、静かにそう言うと翠は体の力がスゥッと抜けていくのを感じた。
 崩れそうになる翠の肩を抱き留ながら恵が諭すように言った。
 「オレにも何が何だか解らないよ、でもこれからどうしなきゃならないかは解るだろう……?」
 翠はその言葉に黙って頷く。
 それを見て恵が優しく微笑む。
 「おまえ、顔が泥だらけだぜ」
 恵がポケットからハンカチを取り出して泥と涙で汚れた翠の顔を拭った。
 「恵が思いっきり地面に叩きつけるからよ」
 そう言ってようやく翠も自分の表情が緩むのを感じた。
 恵はドアガラスの砕け散った電話ボックスに視線を向けると言った。
 「とにかく警察に連絡しよう。日和さんの行方も気がかりだ」
 「そうね」
 翠がそう言った時である。
 彼女たちの顔に眩しい光が照らされた。
 「きみ達、こんなところで何をしているんだ?」
 二人の前に懐中電灯を持ったパトロール中の警官が立っていた。
 「連絡する手間が省けたみたいだな」
 恵が翠に小声で言うと、肩をすくめて見せた。


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