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 譜忠高校は創立50年以上のこの地域でもっとも古い公立高校である。近年の少子化の影響と受験生達の公立離れにより、都内の公立高校が統廃合され消えてゆく中で、校舎も崩れ落ちるのではないかというほど老朽化しているこの高校が残っているのは、奇跡とも言える。
 公立でありながら制服を定めていない。学校の運営を可能な限り生徒達自身の自主性に任せるリベラルな校風など、確かに特徴的な部分もあり。毎年ある程度の新入生を確保しているという実績もあるのだが、その一方で戦前は軍事施設で今でも学校の地下で政府の怪しい研究が行われているとか、終戦前に学生が集団自決したため、校舎を取り壊そうとすると祟りがおきるのだとかなどの怪しい噂も流れているが。
 まあ、とにもかくにも優秀な新学校であるとか、野球部が甲子園に毎年出るとか、芸能人がいるとかそんなことは全くない、そんな平凡な学校である。
 だが、平凡な学校に通う生徒が、必ずしも平凡な高校生であるという保障はない。
 少なくても、ここに一人、平凡などという言葉とは縁のない人生を歩んできた人物がいることは事実であった。

 寝過ごしたために遅刻ぎりぎりで教室に駆け込んだ翠と恵の二人は、各々の席に座り一時間目の授業科目である古典の授業を受けていた。
 黒板に書かれた古典教師の解読不能とも言える汚い文字をぼんやりと眺めつつ神崎翠は昨夜の出来事を思い起していた。
 電話を通して聞いた優子の声。闇の中で狙撃。そして警察での事情聴取。
 日和優子は一体、自分たちに何を話そうとしたのだろう。自分と恵の命を狙っているのは何者なのか。そして優子は何処に?疑問は尽きる事無く翠の脳裏に浮かんでくる。
 「鳥羽ぁ!」
 不意に古典教師の斉藤の怒鳴り声が聞こえ、いつの間にか現実の世界から遊離していた翠はハッと我に返った。
 怒鳴り声の聞こえた左手、教室の窓際後方に視線を向けると、恵が机の上に俯せになって眠りこけている姿が目に入る。
 昨夜、警察での取り調べを終えて二人が帰宅したのは夜中の2時であった。風呂に入ってベッドに入った頃には既に時刻は3時近くになっていた。恵がこうして居眠りをしてしまうのも仕方の無いことである。
 しかし、そんな事情は教師の知るところではない。恵の席の脇に立った斉藤教諭は忌ま忌まし気に顔を歪めながら恵を睨み付けている。
 が、彼女はそれに気付かぬどころか鼾までかいているではないか。
 「鳥羽あぁぁぁぁっ!」
 二度目の怒鳴り声で恵はようやく重い目蓋を上げた。
 「あ、はい?」
 一応の返事を返すと寝呆け眼で辺りを見回す。
 周囲の視線と目の前に立つ斉藤の表情にようやく自分の置かれた状況を認識した彼女はハッとなって慌てて背筋を伸ばした。
 しかし、既に遅い。
 「しばらく廊下で頭を冷やしてこい」
 斉藤は冷たく言い放った。
 「は、はい……」
 (何をやってんだか、まったく……)
 トボトボと廊下に出て行く恵の後ろ姿を身ながら翠は心の中で呟いた。
 斉藤は教壇に戻ると再び教科書を開き言った。
 「では鳥羽の代わりに神崎、今のところを読んでみろ」
 「えっ?」
 思わず跳ね上がるように席を立った翠は慌てて持っていた教科書のページをめくり、読みはじめた。
 「In the case of English―」
 思わず声に出して読んでしまってから、翠はそのとき初めて自分の持っていたのが英語のヒヤリングの教科書であった事に気が付いた。
 まずい!
 しかし、気づいたときには既に後の祭り。
 周囲の沈黙におそるおそる顔を上げると、そこには頬を引き釣らせて笑いながらこちらを睨み付けている斉藤教諭の顔があった。
 結局、恵に付き合う羽目になる翠であった。


 「知ってるか?昨日の夜、この近くで発砲事件があったんだと」
 昼休み、サークル棟にある新聞部の部室で、いつものように弁当を食べていた翠は、同じ新聞部の二年生部員である笹本和彦の言葉に、箸を持った手を止めた。
 「知ってるも何もオレたちは――」
 「う、うん。今朝のニュースでやってたから」
 恵の言葉を翠が慌てて遮った。
 振り向くと、恵が横で目を丸くしている。翠は自分の口の前に人差し指をたてる。
 それに対して、彼女は少し不満げな表情をしたが、直ぐにそ知らぬ顔で食事を再開する。
 「何の話だ?」
 唐突に部屋の奥にある暗室から少年が顔を出した。
 「何だ守宮。こんな時間から暗室なんぞで、何か急ぎの写真でもあったのか?」
 後を振返った和彦は、黒いカーテンの隙間から顔を出している少年、守宮幸助に向かって言った。彼は主に恵と共に新聞部のカメラマンを務めている二年生である。
 「いや、三時間目ぐらいからずっと寝てた。あそこよく眠れるんだ、暗くて静かだから」
 彼は腫れぼったい目を擦りながら言うと大きな欠伸をした。
 「で、何の話?」
 「だから、ほら例の発砲事件」
 「ああ、昨日の」
 守宮はさほど興味もなさそうに言うと一つ欠伸を漏らす。
 「今朝も警察が公園の周りを調べてたな」
 「テレビでもやってたぞ。けが人とかは出なかったらしいけど」
 「しかし、ここら辺で仁義なき戦いなんてのも場違いな話しだ」
 「拳銃持ってるのがやーさんとは限らないだろう」
 和彦が持っていた缶入りのウーロン茶の残りを喉に流し込んでから言った。
 「今時は、チーマー連中だって拳銃くらいは持ってるやつもいるさ。インターネットの裏サイトでトカレフぐらいなら手に入るからな」
 「おーこわ」
 「それで……、犯人とかの手がかりとかってあったの?」
 神妙な様子で尋ねた翠に和彦は首を振った。
 「いや、そもそも被害者が見つからないって話だったし……、目撃者もいなかったみたいだしな」
 目撃者はいた。いや、今ここにいる。二人ほど……。
 ――警察はあたし達のことは秘密にしているんだ。
 それが、自分達の安全のためなのか、それとも別の意図があるのか。
 翠はちらりと隣の恵に視線を向ける。
 恵は別段気にする様子もなく、ただ和彦たちの会話を聴きながら翠の作った弁当を食べている。
 「ま、気にしてもしょうがないか」
 溜息混じりに言った翠の言葉を和彦が拾った。
 「何?」
 「え、ううん。なんでもない。そろそろ、教室戻るわ」
 空になった弁当箱を包みなおし、翠は席を立った。
 椅子にかけてあったジャケットを手にとったそのとき、ジャケットのうちポケットから、ひらひらと一枚のカードが零れ落ちた。
 「ん?」
 幸助が横からそれを拾い上げ怪訝そうに見つめながら言った。
 「翠。落としたぞ」
 彼が手に取ったそれは一枚のテレフォンカードであった。
 「何?お前、キムタクのファンだったのか?」
 実に意外そうに和彦は言った。無理もない。普段から恵は世間の女の子のような、友達同士で芸能界の噂話に興じる姿など一度も見せたことがないのだ。
 「え、あ、それ違うの」
 それは昨夜、翠が公園の電話ボックスに残されていたのを持ち帰っていたものであった。
 受け取ろうとした翠の横から恵が手を伸ばすと幸助からテレフォンカードを取った。
 「翠、これ……、」
 恵が手に持ったテレカを見つめながら言った。
 「うん、昨日電話ボックスから抜き取った後ポケットに入れたままだったのをすっかり忘れてて、家に帰ったから気付いたんだけど……、」
 恵はその表面にキムタクの写真が印刷されたテレフォンカードを目の前に摘みあげて見た。
 「一応遺留品でしょう。警察に届けたほうが良いんじゃないかと思って持ってきてたの」
 「こんなもの何の手がかりにもなんないよ。いまさら……、ん?」
 色々な角度からカードを眺めていた恵が何かに気が付いたように声を上げた。
 「どうしたの?」
 突然、言葉を止めた恵の顔を翠は怪訝そうに見つめた。
 見るとテレフォンカードの角が僅かにめくれ上がっている。
 「これシールだ」
 そう言うと恵は僅かに剥がれた部分に爪をかけ、カードの表面に貼られた写真を引き剥がそうとした。
 「ん?」
 その時、恵はカードとその表面に貼られたシールの間に何かが挟まれていることに気が付いた。
 「幸助、暗室借りるぞ」
 それが何であるのか直感的に気付いた恵はそう言うなり席を立つ。
 「オレが出てくるまで光を入れるなよ」
 部屋の三人にそう言い残し、恵はさっと入り口のカーテンをしめた。
 「なんなの?」
 「知らん」
 部屋に残された三人は呆然と互いの顔を見合わせた。
 暗室に入った恵は暗闇の中でゆっくりとカードからシールを引き剥がす。そこには彼女が思ったとおり、黒く極めて薄いプラスティックの版の様な物が挟まれている。
 「なるほど、ね」
 シールの裏に張り付いたそれを指で摘むと目の前でひらひらと振ってみる。
 彼女の指先に摘まれたそれは、写真のネガであった。


 「ねえ、何だったの?」
 暗室から出きた恵に翠が尋ねると彼女は言った。
 「翠、悪いけどオレちょっと早退するから。後よろしく」
 「えっ、ちょっと、急に何よ?」
 翠が慌てて問うが恵はさっさと部屋を出ていってしまった。
 「何なのよ。もう」
 音を立てて閉まる扉に向かって苛立たしげに言葉を投げつける翠の後ろで、事の成りゆきを把握できなかった幸助と和彦が互いの顔を見合わせた。
 「何なの?」
 「さあね」
 首を傾げ尋ねる幸助に和彦は肩を竦めた。


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