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Error of Hourglass
葉介

   4

 その日の早朝、まだ日も昇らない時刻である。ペームルートの空軍レーダー基地は、湾岸地区付近の領海に国籍不明機を発見した。安眠の時を破った非常事態に基地の隊員達は戸惑ったが、なんとか教本通りに司令部に信号を送った。
 その後彼らは緊張を持続させることもできず、レーダーの反応がものの数分でその範囲から消え去ったことすら、彼らの注意を喚起するには不十分だった。


 初夏の陽光は小さく頼りなく、南向きの窓から射し込んでいた。トラベラーが地球に入植を行ってから、そろそろ一年が経つ。彼女は今、ペームルート総領事館付武官補佐官として、カーマインの組織の下にいた。
 入植地であるプエルトアシスには既に街と呼べるものができつつあり、庁舎もプレハブの仮設物から高層ビルに取って代わられた。船に残っていた官僚達も、先々月の最終便で全てこの地に降りた。そして現在庁舎で施政にあたっているのは、現ナイアス・アコンカグアである。その対外政策の一端として、カーマインが総領事として隣国へ派遣されたのだった。
 ──自分は、ここで何をしているのだろう。
 シエラはぼんやりと外を眺めながら考えた。結局、事態の進展を食い止めるどころか、緩和させることもできなかったのだ。シエラは協調派や仲間達との接触を絶たれ、その結果、カーマイン主導による秘密裏の軍備の拡張を許してしまっている。このまま事が進んだ場合を思うと、彼女の気持ちはますます暗く沈んだ。テロやサボタージュを起こすほどの力は、彼女にはないのだ。そして、もしできたとしても、兵器の隠されている場所がわかっていないのである。
 考えれば考え込むほど、気持ちは暗く沈む。トラベラーを破滅へと導いているのが、もし民族無意識によるものだとすると、シエラ一人の力ではどうすることもできない。
 ふと、別のことが頭に浮かんだ。それは、宇宙船の中にいた頃の人々が信じ続けていた、伝説のことである。『アコンカグア』の飛び続ける先にある、トラベラーの子孫達に残された人類発祥の地。住むべき場所を失ったトラベラーにとって、そこは肥沃な大地の広がる『約束の地』であるはずだったのだ。
 それが、たどり着いた地球は既に人類であふれており、トラベラーに約束されていたはずの聖地はなかった。そして思い出すのが、もう一つの、メイツの伝説というものだ。
 『メイツ』というものが人名なのか、組織名なのかは正確にはわかっていない。とにかく、気の遠くなるような太古の時代、人々が『アコンカグア』に乗って地球から脱出したとき、『メイツ』とそれに関わる少数の人間は地球に取り残された、と伝えられているのだ。
 シエラはじっと目を閉じ、思考を進めた。
 もし、あの伝説が本物の記録であったなら。もし、自分の名が名付けられたのが偶然でなかったら。もし、『メイツ』がその後の地球で生き延びていたとしたら。それなら、メイツという名は──
「シエラ」
 誰かが彼女の肩に手を置いた。思わずビクッと肩を引きつらせる。振り返ってみると、そこに立っているのはリーだった。彼もまた、同じ身分でここに配されていたのだ。
「ああ、すまない。……どうかしたのか?」
 彼女の反応にびっくりしたのか、リーは驚きの表情を顔に張り付かせていた。シエラは苦笑をもらしながら、窓に背を向けた。
「……いや、考え事だ。何か用なのか?」
「用って……、呼出があったの、聞こえなかったのか?」
 そう言われて、シエラは部屋の中を見回した。二人を除いて、後のものは皆部屋から出ようとしている。
「何があるんだ?」
「さあ、俺達はミーティング・ルームに集合だと。何だろうな」
 リーは何も知らされていないようだった。シエラは立ち上がり、総領事のいる執務室へ向かった。


 月と全く同じ周期でその裏側を回る『アコンカグア』。孫衛星というよりは地球のもう一つの衛星に見えないこともない。徴候は、その船にあった。
 月面の観測基地で初めにそれを見つけた所員は、隣のブースで外宇宙からの電波をチェックしている上司に声を掛けた。
「主任、ちょっと来てみてください。確かめてもらいたいことがあるんですが」
 部下の指さした映像の中の数値を覗き込んで、観測班の主任は首をかしげた。
「うん……。重心の軸が軌道からずれているな……。破片か何かが当たったのかも知れない」
「私もそう思ったのですが……。衝突で起きたズレなら、破壊の痕跡などが観測されるはずですが、それがない。第一、あれほどの質量を傾かせるほどの物体なら、事前にセンサーにかかるはずです。しかしこれはどうも……」
 モニターには『アコンカグア』の光学映像が映し出されていた。この船は、基本的に細長いシリンダー状の構造をしている。微妙な傾きなら放っておいても元に戻るはずだった。主任はじっと画面を睨み、次にこう言った。
「宇宙船だけに注目して、赤外線処理をかけてみろ」
 部下の所員は、言われたとおりに画像の加工を行う。そして現れた映像を見て、二人は不審の色を露にした。
「おかしいですね」
「本部に、問い合わせてみよう」
 そう言うと、主任は観測室を飛び出していった。


「何をやろうとしているのか、きちんと説明をしてもらいたい」
 執務室に入ったシエラは、そこにいる二人の人物の顔を認めると、開口一番にそう言い放った。カーマインは横にいるロバートと顔を見合わせる。
「君がそういきり立つこともないだろう。彼らはこれから、市内で集団を作りつつあるトラベラー邦人の保護に向かうところだ」
「……『保護』と言ったな?」
「そうだ。以前から市内のあちこちで暴動が起こっている。最近は、それがエスカレートする方向にあるんだ。知らなかったのか?」
「暴動を起こしているのは、我々の市民ではないか」
「だからこそ、暴走しないうちに抑えなければならない。君にもその任務に参加してもらう。異存はない……、だろうな?」
 シエラはちらりと、カーマインの傍らに立つ男の顔を窺った。ロバートは表情一つ変えずに立っている。
 この男が口を開いたが最後、事態は決定的に悪い方向に向くのではないか。シエラの脳裏に、一瞬そんな思いがよぎった。黙って敬礼すると、彼女は部屋から出ていった。
 シエラが音を立ててドアを閉めた後、直立不動の姿勢で立ち尽くしていたロバートが、カーマインに向き直った。
「彼女のことは、あれでよろしいのですな?」
「ああ」
「監視を付けた方が良いのでは」
「構わないだろう。もう、事は始まったのだ。彼女もいずれ、戦わざるを得なくなる」
 カーマインはデスクに肘を立て、手を組み合わせた。じっと前方のドアを見つめる。
「さて、コピー達のニュースは、この我々オリジナルとの武力衝突を何と呼ぶだろうかな?」
「自分がもしも新聞記者ならば……」
 と、ロバートが言った。
「陳腐ではありますが、やはり“ペームルート事変”と名付けるでしょうな」


 トラベラーの一団を包囲する形で、彼らは対峙していた。トラベラーの地球人に対する憎悪は、一人一人の犯罪から、ついに暴動へと発展してしまったのだ。
『要求があるなら聞く! 今すぐ、武器を捨てて、大人しく投降しなさい!』
 ビルの壁を背に固まったトラベラー達に、防弾チョッキを身に付けたセキュリティがメガホンで呼び掛けている。それに対して、集団の中の年長者と思われる中年の男が、大声で叫び返した。
「我々の要求はァ、傲慢なァ、コピー共にィ、蹂躙された聖地を取り戻すことだァ、バカモノ」
 セキュリティが囲みを作っている外側は、機動車が隙間を埋める体勢で二・三台待機している。その間にも何人ものセキュリティ隊員が行き来していた。昼前からこの状態が続き、もう三時間が経とうとしている。
 機動車の陰で配られた弁当をかき込んでいたメイツは、トラベラーの男のわめき声に首をかしげた。
「リック、コピーとか聖地とか……。何のことだ?」
「俺が知るか」
 一足先に弁当を空にしたリカルドは、素っ気なくそう答えると、指にはさんだ割り箸を力任せに折った。この時間、昼メシ時と言うには遅すぎる。二人は、これから昼食をとろうとしていたところを駆り出されたのだ。
「ところでなあ」
 言いながらリカルドは、弁当のパックを数メートル離れた所にある屑篭へ放り投げた。スチロール製のパックは、ふらふらと不安定な放物線を描いて屑篭へ飛び込んだ。メイツは食べ続けながら同僚の顔を見る。
「なんだ?」
「アレックスだよ。最近どうなんだ? お前ら普段見てると、まるっきり付き合ってるって気がしないんだけど」
 メイツは口の中の物を飲み込むと、リカルドに答えた。
「ああ。あいつはさ、人前でそういうの見られたくないって言うんだ。……どうなのかなあ、少し変わってるかな?」
「彼女とは結構長いんだろ、付き合い?」
「そうだな。始めの頃は不安だったけどな。でも、あいつの性格だから。慣れたよ」
「プラトニックな関係……」
「それは、どうかな?」
 当のアレックスは、非常線の周辺の交通整理に協力するため、出動している。
 半分ほど中身を消化して人心地のついたメイツは、一息つこうとして車の側面にもたれ掛かった。その時、まるでそれを待っていたかのように、「ボン」という破裂音が彼を襲った。車が激しく震える。二人は思わず身を投げ出し、メイツは食べかけの弁当を取り落とした。
「畜生、俺の弁当!」
 顔を上げて、二人は爆発の起こった方を見た。メイツがもたれ掛かっていた機動車のボンネットが吹き飛び、白い蒸気とも煙ともつかないものが立ち昇っている。
「くそ、やっちまいやがった!」
 リカルドが毒突き、メイツの腕を掴んで車から離れた。すぐに消化剤が吹き付けられ、車の回りはますます真っ白になった。
 トラベラーの一人が、持っていたナイフを投げつけたのだ。刃渡り一五センチほどの物だが、それは易々と機動車の外板を突き破り、エンジンルームを直撃していた。
 トラベラーの持つ凶器が、特殊な材質でできているのを知ったのは、ペームルートへ来て間もなくだった。それは、振り回したときに得られる慣性による破壊力に比べ、重量が全く釣り合わないほど軽いのだ。そして近頃はそれが彼らの手から流れているのか、トラベラーではない人間の犯行でも没収されてくることがあった。
 騒ぎの中心は殺気立った空気に満ちている。大きなプラスチックの盾を構えたセキュリティ達は、今にも突入しようとしている。暴動集団はセキュリティ達を睨んだまま、じっと身を寄せ合っている。
 異様な緊張感を帯びた静寂が、辺りを包んでいた。
 隊員の一人がエンジン音のようなものに気付いたのは、その時だった。近辺は交通規制が布かれている。それが次第に近付いてくるのだ。包囲に加わっていない隊員達は、それに気付くと次々に振り返った。
 非常線の外側から市民達が見つめる中、一台の大きな兵員輸送車が彼らの目の前に止まった。扉が開き、武装した人間がバラバラと降り立つ。それはセキュリティではなかった。そして、暴動集団を包囲しているセキュリティを、さらに包囲する形でそれらが銃を構えたとき、人々はそれがペームルートの軍でもないことに気付いた。
「何だァ、貴様ら!」
 包囲の指揮を採っていた隊員が、背後を囲む集団に向かって怒鳴る。その返答は、先頭の若い男の発した一言だった。
「撃て」


 ペームルート湾岸沖、その両端に位置する岬を結ぶSOSUS網の手前四〇キロに、小型の人工物体が浮かび上がった。海面に突き出た各種のセンサーを作動させ、与えられたプログラム通りに目標を定める。そしてデータの転送を終えると、唯一の内容物を吐き出した。
 弾体は目標の上空、太陽を目掛けて駆け昇っていく。仕事を終えた超小型無人潜水ポッドは、二度と見ることのない青空に別れを告げ、海の底へと沈んでいった。


 普段はあまり人の出入りの少ないこのペームルート庁舎に、一人の男が近付いてきた。正面入口を入ってすぐの所にあるインフォーメーションで、退屈な受付嬢はぼんやりとその男を見る。細身の身体を茶色いダブルのスーツで包んだ長身の男は、真っ直ぐこちらに歩いてくると、ブースのデスクに肘を突いて言った。
「首相は今、こちらにおいでかな?」
「どちらの方でしょうか」
「ディマシュク航空輸送のジャック・デマヴェンドだ。アポイントメントは取ってあるはずだが」
「少々お待ちください」
 コンピュータをチェックしてデータバンクにその名を発見すると、彼女はその男に向き直った。
「承りました。ただ今オフィスで会議中ですので、しばらくお待ちいただけますか」
「いや、今すぐだ」
 言った次の瞬間、玄関前ロビーに、一発の銃声が轟いた。
 ロビー内のまばらな人影が、一瞬凍り付く。
 銃口から、煙が薄くたなびく。
 誰かが上げた甲高い悲鳴を機に、館内は騒然となった。だが警報ボタンを押すべき案内嬢は、胸を朱に染めて、もう動かない。そして十数人の兵士が銃を構えて入口を封鎖したとき、不運に見舞われた人々は、銃口が今度は自分達に向けられていることを悟った。
 ジャックと名乗った男はカーマインだった。彼は正面玄関を任せた武官に何事か命令を下し、死体には目もくれずにエレベータの方へ足を向けた。その後を数人の兵が追う。
 さらに十人が入ってきて、ビルの警備室へ向かった。それを見届けて、カーマインらはエレベータに乗り込む。
 エレベータの扉が閉まったその向こう側では、兵士達が顔色も変えず、彼の命令を遂行していた。
 無言の彼らを乗せた高速エレベータは、音もなく首相オフィスのある上層階へと昇る。刻々と変わる階数表示を見つめていたカーマインは、腕時計にちらりと目をやった。
「発射されたか」
 一言、そう呟く。その直後エレベータは減速され、そして扉が開いた。
「かかれ!」
 合図と同時に、兵士達はエレベータから飛び出していく。カーマインは一番最後から、ゆっくりと歩み出ると、オフィスの扉を開けた。


『非常線警備中のセキュリティ隊員に告ぐ。現在包囲部隊は所属不明の武装集団に襲撃を受けている。手の空いている者、交代要員は、至急支援に来られたし。繰り返す……』
 突然声を発したレシーバーにアレックスが耳を押し当てたとき、空に真っ白い閃光が走った。視界を奪われ、思わず息を詰まらせる。直後、ドーンという打ち上げ花火のような音が光のあとを追うようにして響き渡った。アレックスはそれを確認しようと思ったが、閃光にやられて目を開けることもできない状態だった。しかたなくインカムに向かって声を張り上げる。
「今何が起きたの? 機動部隊、応答して下さい!」
『……況が……めない……ザッ』
 しかし返ってくるのは、耳障りなノイズに混じった途切れ途切れの声だけだった。辛うじて薄目を開け、空を見上げる。何か空の色が不鮮明にぼやけているような気がしたが、まだそれ以上はよく見えなかった。
 アレックスは、何か背筋に悪寒が走るのを感じた。市民の暴動にしては、あまりにも状況が異様すぎるのである。
 民衆のざわめきが大きくなった。遠くで銃声が聞こえるのだ。暴動のあった方角に彼女が顔を向けた途端、ちょうどその現場付近から、爆発音が轟いた。
 ようやく開いた片目に爆発の黒煙を捉えると、アレックスは銃撃戦の行われているであろう現場に向かって走り始めた。


「何だ、あれは……!」
 リカルドが驚愕の表情で叫んだ。先程の閃光の直後だ。二人は光に背を向けていたので、あまり影響はなかったのだ。
 くらくらする頭を振って、メイツは何事か聞き返そうとしたが、リカルドの視線を追って上を見上げたとき、言葉を失った。
 空には、巨大なオーロラがかかっていた。不定形状の虹色の光が、四方へと広がっている。
「本部、本部! 応答せよ! 状況が知りたい。応――駄目だ、無線がいかれちまってる」
 舌打ちして、リカルドはインターカムのスイッチから手を離した。
「どういうことだ?」
「さあな……。多分、あれだろ」
 メイツの問に、リカルドは頭上を指さして見せた。オーロラは、ちょうど真上を中心に広がっているようなのだ。
 トラベラーの発射したミサイルによるものだった。その正体は電界弾である。弾頭炸裂時に放射される光子すなわち電磁波が大気中の分子をイオン化し、局地的に不安定な疑似電離層を形成する。このため電波による交信は不可能となり、周辺の電子装置にも影響を与える。オーロラはその結果生じた帯電微粒子に起因するものだった。だがこの状況に置かれている中で、トラベラーがこのオーロラを作ったという結論に達する者は少なかった。それほどこの赤道付近に位置する都市において、それは幻想的な光景だったのである。
 閃光のあとまばらになっていた銃撃は再び始まっていた。拳銃で応戦しながら、リカルドはメイツに向かって言った。
「このままじゃ埒が明かん。メイツ、軍の司令部の所へ行け。セキュリティだけじゃこれ以上支えきれない」
「……そうだな。わかった、行こう」
 メイツは、軍の手にこの場を委ねることにはいささか抵抗があったが、そんなことを言える状態ではなかった。後ろで応戦している仲間に手で合図を送ると、まだ無傷の機動車に向かって走り出す。銃弾がメイツの足元をえぐり、機動車にも何発か当たったが、メイツは運転席に飛び込むと強引に発車させた。
 それを見送ってリカルドはほっと一安心、といきたかったが、そうすることはできなかった。今まで背後のセキュリティと対峙していた暴動集団が、彼らに向かって突撃を始めたのだ。
 トラベラーが完全に敵になったのは明らかだった。それらは、血に飢えた獣に等しかったのである。


 銃声の響きが周りを支配する。シエラはその後方で、呆然と立ち尽くしていた。状況が把握できなかった。
 ……自分は何をしにここへ来たのだ?
 跳弾が足元を掠める。横から手が伸びて彼女の頭を押さえつけ、地面に伏せさせた。
「何をボサッとしてるんだ? 死ぬぞ!」
 指揮をとっていたリーが怒鳴る。シエラの目には、銃撃で倒れていく、人間の姿が映っていた。彼女は我に返った。
「今すぐ発砲を止めさせろ! 我々はトラベラーの保護のために出動したのではないのか? こんな争いは無益だ!」
 大声でまくし立てるシエラの顔を、リーは不思議そうに見た。そして彼女に言い聞かせるように語り掛けた。
「シエラ、君は知らなかったのか? これは聖戦なんだぞ。総領事からその事について言われたんじゃなかったのか?」
「聖戦だと?」
 シエラは愕然とした。その声を聞いた何人かの兵士が、彼女の方を盗み見る。リーは平然と、彼女に向かって言った。
「君が本当のトラベラーなら、剣を取って、あのコピー共を殺すんだ。そうすれば、君は認められる」
 彼女には兵士達の顔に不信の表情がありありと見て取れた。言うまでもなく彼女は、極少数派だった。そして今、彼女は初めて、完全に孤立している自分を実感したのだ。今まで鏡の面のように波一つ立つことのなかったシエラの心が、その時大きく揺らいだ。
 どうして、私が、こんな事をしていなければならないんだ。
 一瞬だけ沸き上がってすぐに消えたその心の声に、シエラは言い様もない混乱を覚えた。これまでこんな事は思いもしなかったはず、いや、生涯においてそのような思いを抱いたことは、一度もなかったのだ。
 彼女の目に映る同胞達は皆、狂人だった。数歩後ずさりして、彼女は走り出した。リーの制止の声も、全く耳には届かなかった。


 我を忘れて走るシエラの頭の中に、心の奥からの声が鳴り響く。
 ──お前のしてきたことは、全てが無駄だったのだ!
 ──どうなろうと、お前が認められることは有り得なかった!
 彼女の無意識が、彼女の理性を打ちのめす。
 シエラは、忌むべき伝説の申し子というレッテルを張られて、閉鎖された統一社会の中で今まで生きてきた。それは彼女の持つトラウマでもある。自分がトラベラーという集団の運命を何よりも第一に行動してきたのは、結局、その苦痛から逃れるためだったのだ。
「違う!」
 一度悟ってしまったことを打ち消そうとでもするように、彼女は叫んでいた。非常線のロープを飛び越え、民衆がまるで誘導するように左右に別れて逃げていく中を駆け抜ける。いつしか野次馬の集まっている所を抜け、人のいない場所へ出ていた。街道だが警戒地区内なので人の往来がないのだが、今のシエラには何も目に入ってはいない。セキュリティの機動車が白い蒸気を上げて停止しているのにももちろん気付かず、そのまま通り過ぎた。だが。
「メイツ」
 一瞬心臓が止まるようなショックだった。自分の声ではない。ただ、彼女の心境にあまりにもシンクロしていたのだ。シエラは立ち止まり、振り返った。
 シエラと同じくらいの年層の男女がそこにいた。機動車から降り立った青年に、女性がそう呼び掛けたのだ。シエラはその男を見た。
 そしてその瞬間、ただ一つの思考に支配された。彼女は腰に吊り下げられていた刀の柄を、きつく握りしめていた。
 この人間がいなくなれば、全ては終わる。
 頭の中が真っ白になっていくのを、シエラははっきりと感じ取った。だが彼女は、敢えて身を任せた。


 地球を支配する、時間という砂の河が、その時から道を外れて流れ始めていた。その原因を一個人に求めるのは到底無理なことだ。しかしこの日が境であることは、大きな目で見れば明らかなことだった。そしてその中心に彼女という要素が加わっていたことも、間違いではなかっただろう。
 彼女がメイツをめがけて刀を抜き放った時、隣にいた女性が目の前に身を投げ出していた。駆け抜けざま横一線に薙いだ白刃は、確実な手ごたえをもって、持ち主を現実の世界に引き戻した。


To be continued.


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