表紙 始めに 掲示板 リンク 雑記

Error of Hourglass
葉介

   3

 有史以前からの民族対立だった「ジエッダの内紛」が、国連仲介の下での会談によって終結を告げてからおよそ五十年が経つ。その頃から国連はその加盟国数をさらに増やし、世界へ及ぼす影響力を確固たるものにした。内戦国へは国連軍を派遣し、当事国の政権に協力する形でそれを鎮圧したのだ。
 しかし、国連が武力を持って国家に制裁を加えることのできる時代は、十年と続かなかった。その理由は小国の加盟数が組織内での比率を高めたことによる。
 今から三十五年前、公暦三二〇四年、大国の拒否権が廃止されると、国連軍は解体され、一国内問題に国連が武力介入することはなくなった。経済的な処置で十分対処できると、彼らは決断したのだ。その時点で既に、国連は各国家を監督でき得る力を持っていたからである。ただ、兵力に代わって、彼らはそこに核を持ち込んだが。
 こうして、国連はシステムとしての力を形作られていった。三二二一年に世界経済流通機構が国連管理の下に機能を開始、同年末にはそれに連動する形で、新領土管理法が施行された。現在の世界の姿が、そこで生まれたのである。
 だが疑惑は、最初の内紛集結の時から始まっていた。


 電話の呼出音が、メイツを眠りから呼び戻した。彼の意識は急速に覚醒を遂げ、地球の裏側にある古巣からペームルートの公団マンションへと舞い戻る。そして目を開けると同時に、ベルは鳴り止んだ。アレックスが受話器を取っていた。
「……はい……、はい。わかりました、私から伝えておきます。はい? ……何でって、まあいいじゃないですか。では、後ほど」
 短く答えて彼女は受話器を置いた。メイツはベッドから身体を起こすと、眠気を追い払うように頭を振った。ぼんやりと辺りを見回す。
 部屋は昨日のうちに二人で片付けを済ませていたので、整然としていた。キッチンのこんろに掛けられたパーコレーターが、コーヒーの香りを漂わせている。アレックスはもう一足先に起き出していたようだった。
「誰だ?」
 シャツに腕を通しながら、メイツは電話の相手を尋ねた。
「ああ、おはよう。ここの課長よ。明日からのことで、ミーティングをしておかなきゃいけないから、午後から局の方に来るようにって」
 答えながら、アレックスは朝食の支度を始めた。テーブルにクロワッサンとサラダを並べ、スクランブル・エッグを皿に装い、二つのカップにコーヒーを淹れる。暖めたミルクを落としてカフェ・オ・レを作り、一方には角砂糖を一つ入れた。砂糖を入れるのはアレックスの分だった。
 メイツはアレックスの姿を眺めながら、地球の裏側でも以前と変わらない生活ができそうだと思った。着替えを終えると、窓のブラインドを解除し、壁に取り付けてある薄型のテレビのスイッチを入れた。薄暗かった室内に日が差し込み、長い影をつくる。テレビは何かの特集番組を放送していた。砂漠の中にある遺跡を映している。
「ねえ」
 テーブルの向かいに座ったメイツに、アレックスが声をかけた。
「今日はどうせ早く終わるでしょ。その後はどうするの?」
「そうだな、来たばっかりだし、適当に辺りをぶらついてみるよ」
「うーん、そうか……。また今度、休みの時にはあたしが案内してあげるからね」
「ああ」
 簡単な朝食を済ませて、アレックスは出勤していった。
 部屋に取り残されたメイツは、ソファに座り込んで、余った時間をどうしようかと思案に暮れた。局に出向くにはまだ早い。二時間ほどの余裕がある。仕方がないので、取りあえずゆっくり行こうと立ち上がると、出し抜けにファクスがアラームを発した。次いで音もなく紙が滑り出してくる。
 手に取ってみると、局から宛てられたものだった。人手がいるので、直接現場に向かって欲しい、という内容だ。地図も写されている。
 メイツは何か釈然としないものを感じたが、彼個人の装備はあらかじめ携帯済みだし、行かないわけにもいかなかった。
 今日の分は時間外労働になるのだろうか、などと考えながら、メイツは制服に着替え直し始めた。
 テレビではさっきからの特集が続いており、遺跡の中の様子が映されていた。現在の文明以前に別の高度文明があったという、その大崩壊についてのナレーションが流れている。メイツはリモコンでスイッチを切ると、部屋を出た。


 ぎらぎらと輝く太陽が、ビルの合間からメイツの肌を焼く。気温はあまり高くはないが、快晴の空は直射日光からの紫外線を防ぐ役には立っていなかった。そういえばアレックスも、以前と比べて肌の色が濃くなっていたような気がする。帽子を持って来るんだった、とメイツは手のひらを額にかざしながら思った。
 並木のある高架歩道を早足で歩きながら彼が向かっているのは、人気のない所にある無人工場である。時折その下の地面を車両が通り、わずかに歩道のアスファルトを震動させていた。
 メイツは敷地を囲む塀の前までたどり着いた。入口はない。一番大きな車両搬入ゲートは、足の下だ。壁づたいに裏手に回っていくと、そこにはメンテナンスのための技術者用出入口があった。
 そこへ来てメイツは、何かがおかしいと気付いた。門をくぐる際には、身分証明のためIDをチェックさせられるはずだ。セキュリティはこういった事件の場合はたいがいフリーパスだが、逃げ込んだはずの容疑者はどうしたのだろう。人が入るための入口はここしかないはずだ。だがゲートは破壊された様子もない。入ってしまえば袋のネズミのようなこの無人工場にあえて侵入したことも考えると、相手は工場の関係者と考えるのが妥当と思われた。
 ゲートに備えられた検知器のスリットにIDカードを通し、工場の敷地内に踏み込む。まずはここで容疑者を追跡しているはずのロブ・ダンチェッカーと連絡を取らなければならない。メイツはインターカムのスイッチを入れると、まだ顔も見ていない同僚に呼びかけた。一・二秒の間を置いて、スピーカーから低い男の声が届いた。
『──ロブだ。到着したばかりのところを呼び出したりしてすまない。じゃあ早速だが、犯人は資材倉庫の区画へ逃走した。君は今どこの辺りだ?』
「メンテナンス用ゲートの前にいる。今から倉庫の方へ向かう」
『わかった』
 通信が切れると同時に、メイツは走り出していた。
 敷地内は工場施設が複雑に入り組んでいて、まるで迷路のようになっていた。だが所々に案内の掲示板が据え付けられている。それを頼りに倉庫区画の一端に達したメイツは、そこで足を止め、奥の気配をうかがった。
 付近に人の入った形跡はない。中は静まり返っている。相手は別の方角からここへ入ったのだろうか。例のロブはもうこの中だろうか。
 平たい造りの大きな倉庫が整然と建ち並び、資材のコンテナがあちこちに積み上げられている。倉庫の扉は全て閉まっているようだ。当然ロックが掛かっていて、あの中へ逃げ込むことは不可能だった。隠れるところは資材置場くらいしかないのだ。
 足音を殺して、手近なコンテナの影に走り込んだ。身を潜めてしばらく様子を見る。何の動きも見えないのを確かめると、心持ち身をかがめて奥へと進み始めた。
 追手をまくならここだ、とメイツは見当をつけた。この区域では、コンテナ置場が最も身を隠し安い。拳銃をホルスターから抜くと、周囲に気を配りながら、壁をつたってに慎重に進んでいく。そうやって中程まで進んだとき、不意に彼は足を止めた。
 何かがいる、そう思ったのと同時に、メイツの顔のすぐ横で凄まじい破裂音とともに火花が散った。反射的に身を投げ出すと、銃を構える。撃たれたのだ、ということはすぐにわかった。銃弾が跳んできたと思われる方向に二発撃ち込むと、素早くコンテナの影に飛び込む。
『メイツ、無事か!? 相手は銃で武装している。注意しろ』
 一瞬遅れて、インターカムからロブの声が響いてきた。
『犯人は西側の資材置場に逃走した。君はそこから直接向かってくれ。俺は迂回して反対側から回り込む』
「了解した」
 コンテナを飛び出すと、メイツは捜索を再開した。何か心に引っかかるものを感じていたが、今はそれどころではない。資材置場の区切りになっている広い通路を一気に横切ると、コンテナに張り付いて息を潜めた。
 人の気配を感じて、メイツは前方に意識を集中させた。足音を殺してゆっくり歩きだす。
 だから、コンテナの間から彼めがけて振り降ろされた拳に気付いたのは、後頭部を強打されて意識を失う寸前だった。


 アレックスが巡回しているこの町は、無人工場からは最も近いところに位置していた。中流階級の閑静な住宅街をそのまわりに配し、中心部に商店が軒を連ねる形になっている。
 商店街のアーケードの下を歩いていた彼女の耳に、騒々しい罵声と怒号が届いた。それは、不意に欠勤した同僚のことを考えていた時だった。
「捕まえてくれ!」
 大声に驚いて振り返った彼女の目に、人だかりの中から飛び出してきた小学生くらいの子供が映った。見ると、その男の子の体ほどもあるパンの紙袋を抱えている。とっさに、彼女の脇を駆け抜けようとしたその子供の肩を掴んで引き戻した。
「僕、どうしたの?」
 アレックスと男の子の周りに、何人かが駆けつけてきた。どうやらこの子供が盗みをやったらしい。店の主人らしい男がつかみかかろうとするのを制して、アレックスはポケットから紙幣を一枚取り出した。
「品物はちゃんとお金を払ってから持っていかないと駄目でしょ?」
 そう言って彼女は、紙幣を子供の手に握らせる。だが、その男の子は無言でアレックスを睨みつけると、パンと紙幣を地面に叩き付けた。そして驚いた彼女の手を振りほどき、人ごみに紛れるようにして逃げてしまったのだ。
 アレックスは呆然と子供の走り去った方向を見つめていた。あの男の子の反応、そして親の仇でも見るようなその表情が、彼女には理解できなかったのである。
 我に返り、散らばったパンを片付けて、アレックスは男の子の落としていった紙幣をパン屋の男に差し出した。しかし男は肩をすくめると、首を左右に振ってそのまま店に戻っていった。
 周りはまるで何もなかったかのように、人々の往来が続いている。手持ち無沙汰といった様子で、彼女はパンの紙包を見た。ここで捨ててしまうのは少しもったいないかもしれないが……。
「困ったな……」
 しかたなく通りの脇にあった屑篭へと近づく。だが、彼女は不意に足を止めると、遠くの方へ耳を澄ました。曲がり角の向こうから、喧噪に混じってけたたましいクラクションの音が聞こえたのだ。包を持ったまま、音のした方へと歩き出す。金切り声のようなブレーキの音、続いて衝突音。アレックスは車道の交差点めがけて走り出した。
 交差点の向こうで、あちこちから悲鳴が上がった。そしてその通りの角に差し掛かったアレックスの視界に、横倒しになった大型トレーラーが突っ込んできたのだ。
 彼女の見ている前で、トレーラーは斜体をガードレールにめり込ませて止まる。そこから身を引きずるようにして出てきた二つの人影に、アレックスは思わず息を飲んだ。


 頭を何かにぶつけたようだ。そう思った途端に、体に感覚が戻ってきた。振動が床から伝わってくる。どうやらトレーラーか何かの荷台の中らしい。身を起こそうとしたが、思うように体が動かない。周りが暗くてよくわからないが、積荷の隙間、それも人がやっと入る程度の所に放り込まれたのだろうか。拳銃もインターカムのレシーバーもない。おまけに腕はしっかりと、後ろ手にして手錠が掛けられているのだ。
 メイツは闇に目が慣れるのを待つ間、まだ少し痛む頭を酷使して、状況を思い出そうとした。
 ──そもそもこの頭の痛みはどういうわけだったか。俺は無人工場で容疑者を追っていて……、そうだ、そこで後頭部を殴られたんだった。確か、一緒に追っていた奴がいたな。ロブ・ダンチェッカーとか言った──
 思考はそこで一旦中断された。車が減速した反動で身体が動き、尖った物が腕を引っかいたのだ。
 目を凝らしてよく見ると、それは針金の結び目だった。荷台の鋼板が壊れかけており、そこがなんと太い針金で補修してあるのだ。メイツは何とか身体をずらして結び目に手を掛けると、手探りでそれを解いた。そしてその先を少し鍵状に曲げ、手錠の鍵穴に差し込む。セキュリティの装備に電子ロックの手錠なんて物がなくて良かった、とその時メイツは思った。
 今どの辺りを走っているのかわからないが、どこへ向かっているのだろうか。相手はどういう了見でセキュリティなどを誘拐しようとしているのだろう。個人的な恨みを買った覚えは彼にはない。なら仕事上のことでなのか。それにしても地球の裏側まで追って来させるほど酷いことをやったわけでもない。どう考えても、ここへ来たばかりの自分が狙われるという理由はわからなかった。結局、考えるより車を止める方が先だと結論し、メイツは神経を手首の方へ集中させた。
 しばらく試行錯誤を繰り返す。だがなかなか、針金が思うように奥まで入り込まない。そう強い力に耐えられるほど、この針金は硬くなかったのだ。それに手が後ろに回っているので、少し感覚が狂う。
 信号に差し掛かったのか、車が急に減速した。その拍子に荷物のバランスが崩れ、メイツの目の前にあった大きめの段ボール箱が倒れ掛かってきた。
「……!」
 まともに下敷きになってしまった。かなり重い。メイツは何とかそれを両手で支え、上へと押しやった。ほっとため息をついて、片手で額を拭う。
「──お?」
 右手に手錠がぶら下がっている。荷物が落ちてきた反動でうまく針金が回ったらしい。メイツは自分の好運にあきれた。あきれながら足首の縛めを解き、積荷の山を乗り越えて荷台の扉の前に立った。
 後は簡単だった。扉を内側から開けるための非常コックを引き、片側を開ける。辺りはもう住宅街に入っていた。だがまだ人通りはほとんどない。見られてどうということでもないが。
 メイツは扉の錠に足を掛けると、一息に荷台の天井に登った。そのまま身を屈めて荷台の前端まで進む。その途中で、サイドミラーから運転席が垣間みえた。不精髭を生やした中年の男がハンドルを握っていた。
 そろそろ商店街に入る。ドアはロックされていない。メイツは軽く息を吸い込むと、運転席側のドアを開けて飛び込んだ。
「何だっ……!?」
 男が驚いて振り返ったときには、メイツの手が男の肩に掛かっていた。メイツはそのまま引きずり落とそうとしたが、相手の力が強く、逆に助手席側に投げ込まれる。投げ飛ばされながら、彼はダッシュボードの上に自分の拳銃があるのに気が付いた。体勢を立て直す間もなく、それに手を伸ばす。だが僅かの差で、拳銃は男の手に握られていた。
 ピストルがメイツに向けられる。相手はメイツの目を真っ直ぐに見ていた。彼は思わず体を硬直させる。相手の顔をその時初めてはっきりと見たが、メイツはそこから犯罪者、悪人といった印象を読み取ることはできなかった。年齢は三十半ばくらいか。不精髭を顎に生やしているが、どちらかというと知性を感じさせる顔をしている。
 一瞬、男がはっと何かに気付いたように前へ振り返った。メイツはその隙を逃さず、拳銃を手刀で叩き落とす。拳銃がシートの脇に落ちた。
 そのままハンドルにしがみついている男に体当たりを喰わす。だが男は必死の勢いでメイツをはね退けると、急ハンドルを切った。サスペンションが軋み、車体が傾ぐ。ブレーキが悲鳴を上げ、メイツは体をフロントガラスに叩き付けられた。目が回ったような感覚が彼を襲う。そして直後、ものすごい震動が車体を震わせた。
 くらくらする頭を振って身を起こすと、不自然な感じがする車内を見回した。景色が九十度回転している。
「う……」
 メイツは痛む頭を片手で押さえた。トレーラーが横転したのだ。窓が真っ白にひび割れていて外の様子はよくわからない。だがガラスの欠けた部分から見えるのは、どうやら激突でひしゃげたガードレールのようだ。上を見上げると、男が運転席側のドアを押し上げて這い出ようとしていた。慌ててそれを追う。
 転がり落ちるようにして道路に降りた。周りを見回すと、事故の起きた交差点を取り囲むようにして人が集まってきている。メイツはトレーラーの影にさっきの拳銃が転がっているのを見つけた。さほど離れてはいない。少し動けば手が届くところにあった。
 不意に、周囲のざわめきが収まった。はっとして顔を上げると、横倒しのトレーラーの上にその男が乗っていた。手に拳銃を持っている。それはメイツの方へ向けられていた。
「ロブ! やめて!」
 その時唐突に、どこからか聞き慣れた声が彼らの耳に届いた。その声は確かにそう聞こえた。そして目の前の男はそれに一瞬だが反応したのだ。
 だがメイツには声の主を探している余裕はなかった。男の狙いが僅かにずれたのを逃さず、とっさに銃へ飛びついた。男は銃を撃ったが、何もない地面を弾いたに過ぎなかった。メイツは起き上がりざま頭上の敵めがけて引き金を引いた。弾丸が男の肩をかすめる。相手は傷ついた肩を押さえると、トレーラーの反対側へ跳びすさった。アーケード側に逃げ込んだのだ。その後を追って、メイツも反対側へ回り込んだ。
 誰もいない。辺りをぐるりと見渡したが、男の姿はなかった。傷つけたはずだが、血の跡も残っていない。
 逃がしたのか……。メイツは舌打ちしてもう一度アーケードを端から端まで見回してみた。誰かがこちらへ走ってくる。それはさっきの声の主だった。
「メイツ……、一体」
 アレックスは心配そうに、彼の身体を眺めた。
「どっちへ行ったか見なかったか?」
「わからない。でも何で……」
 メイツの身が全く無事なのを確かめて、彼女は少し安心したようだ。抜いていた銃をホルスターに戻した。メイツもそれに倣う。
「聞きたいのはこっちだ。お前、あの男をロブって呼んだな?」
「そうよ。私服だったけど、確かにロブ・ダンチェッカーだった。間違いないわ」
 アレックスはきっぱりと肯定してみせた。
「……仕方ないな。処理班を呼んで、俺は局の方へ行くよ」
 腕時計に目をやりながら、メイツは言った。あれからそんなに時間は経っていないようだった。
「わかった。連絡の方は私からしとく。後は任せていいわよ」
 アレックスは手を振ってメイツを見送った後、連絡のために手近の公衆端末に向かった。
 二人がその場から離れたのを見届けて、ロブ・ダンチェッカーは荷台と運転席の間の連結部、その影になっているところから出た。アーケードを横切って路地裏へと消えた彼を見咎める者は、誰もいなかった。
 その後ロブ・ダンチェッカーという男が保安局に戻ってくることはなかった。一カ月の後、ペームルート局長は、ロブを正式に免職処分にした。


「船の方へ行くそうじゃないか。用があるのなら私に言ってくれれば良かったんだが」
 庁舎に挨拶に来ていたシエラのところに、カーマインがやってきて言った。気安く話しかけるな、という言葉を危うく飲み込む。シエラは努めて冷静な表情で答えた。
「お前にやってもらうような事はない。私には私の考えがある。それだけのことだ」
 肩をすくめてみせるカーマインを置いて、シエラは歩きだそうとする。だがカーマインはその肩を押さえて彼女を引き留めた。
「私の口から言いたくはないが、君もそろそろ考えを改めた方がいい。……組織の中での君の立場は、上の連中にはあまり良く思われていないんだ」
 いつから呼び方が「貴女」から「君」に変わったんだ、と言い返そうとしたが、シエラは思いとどまった。どうせ言っても詮無いことだと、カーマインの言葉通り彼女なりに考えを改めたのだ。そして代わりにこう言った。
「私個人の立場について、どうこう言われたくはない。今の傾き過ぎた世論は危険なんだ。私達はその中和剤として、少数でもこの考えを守っていかなければならないと思っている。だから今は考えを改めるわけにはいかない」
「……そうか。まあ、行ってくるといい。帰ってきたらまた話し合おう」
 カーマインは彼女の肩から手を離すと、そのまま見送った。
 廊下を歩きながらシエラは、奴とはいくら話し合っても水掛け論かもしれない、そう思い始めていた。
 ふと、向こうから見慣れない顔の男が歩いてくるのに気が付いた。すれ違うときにちらりと表情をうかがう。粗野な感じを見せているが、何か油断のならない気配を持っている。
 そういえば、カーマインは自分のブレインともいうべき人材を持っている、と聞いたことがある。今の男がそうなのかもしれない。シエラはそんなことを考えていた。
 入れ違いに仮庁舎に入ってきた男は、カーマインのいるところまで来ると、腕組みをして壁に寄り掛かった。プレハブの骨組みがかすかに軋みを立てる。
「彼女が、例のシエラ・ヴィンドですか」
 その声でようやく男の存在に気付いたとでもいうように、カーマインははっとして顔を上げた。
「何か……、ありましたか」
「ロバートか。いや、何でもない。それより手配の方は順調なのか?」
「まあ難事ではありますが、今のところは」
「なら、いい」
 カーマインはそのまま執務室へと姿を消した。
 ロバートと呼ばれた男は、まるでいるべき場所はここにはないといった感じでさっさ来た道を引き返し始めた。仮庁舎の門を出て陽の光にその姿をさらした彼は、しばらくの間シエラの向かった方角を眺めていた。


To be continued.


prev 掲示板 next

表紙

[PR]動画