1「天に大逆せしもの」
荒野には、ただ一陣の風が吹き荒れていた。
見渡す限り、何一つとて動くものなき荒野。
しかし、その中に一つだけ微かにうごめく物があった。
それは、僅かずつではあったが確実に動いていた。
「大逆天、パァァァァァンチィィィッ!!」
「……あひょぉぉぉ〜ん!」
その日、何度目かの絶叫が街にこだました。
誰もかもが皆、「私は無関係です。絶対に無関係です。誰が何と言ったって無関係なんです!」という雰囲気を装いながら、遠巻きにその光景を見ていた。
ここに、『大逆天』という人物がいる。
性別:男
年齢:不詳
国籍:不明(但し日本語を使用)
経歴:不明
職業:不明
このふざけたようなプロフィールが、彼の全てだった。
数日前、彼は突如としてこの街に現れた。
その理由は不明である。
彼が来るまで、この街は凶悪犯罪というものには無縁な街だった。
しいていえばたまに暴走族が走り回る程度で、それも警察の努力によって減少しつつあった。
だが、彼はそれ以上の犯罪をこの街に呼び込んだ。
事実、彼が来てからというものこの街で平和を甘受できる日は一日とてなかったのである。
しかし、誰も彼にその責任を問うことはできなかった。
「そこの変質者! おとなしく手を挙げて止まりなさい!」
先ほどの騒ぎを聞きつけて、警察が押っ取り刀で駆けつけた。数台のパトカーで周囲を包囲し、拳銃を構えて威嚇する。
「無駄な抵抗をせず、おとなしく我々の言うことを聞きなさい!」
警察も仕事柄こう言わざるを得なかったが、正直この謎の人物が絡む騒動に巻き込まれたくはなかった。
昨日は大衆食堂の食い逃げを相手に3時間の乱闘を続け、店舗が6軒破壊された。
一昨日はコンビニの前で煙草を吸っていた高校生5人を相手に戦い、周囲にいた30人を巻き添えにした。
一昨々日は理由も明かさぬまま、雑居ビル2棟と巨大倉庫を瓦礫の山に変えた。
更にその前は……。
「ええい、またしても奴か。ったく、今度は何をやらかしたんだ?」
リーゼント頭にサングラス。時代錯誤な格好がトレードマーク。スティーブ=木下は10年目のベテラン刑事だ。70年代のカマロを愛車に、この街の悪を追いかけている。
「……下着ドロを追いかけて、この200m一帯を破壊しているようです」
「……ガッデーム……」
警官の報告を聞くと、木下は大仰に空を仰いでみせた。と、革ジャンをめくりホルスターの中身を確かめる。愛用のコルトパイソンが、そこに納まっていた。
「拳銃の発砲許可は?」
「まだです」という返事が警官の口を出る前に、彼はパイソンの銃口を100m先にいる怪人物の足下に定めていた。
「だろうな……」
言うが早いか、引き金を引く。357口径のマグナム弾がアスファルトを砕いた。
「……誰だ!?」
大逆天は自分のパンチで50m以上吹っ飛んだ下着ドロの首根っこをひっつかまえ、きつい説教を浴びせようとしていたところだった。足下で何かが弾ける音を聞き、ようやくそれが威嚇射撃であることを悟った。
「大逆天、イヤァァァァァーッ!」
突如、絶叫を上げると彼はその場にうずくまって耳を澄ませた。
大逆天イヤー、それはどんな微かな音でも聞き逃さない特殊能力である。
「……そこか……」
大逆天は発射音の残響から、威嚇射撃の発射先を割り出した。大きく周囲を見渡し、やがて一方向を見定めて歩き始める。その先には、錆の浮いた青いカマロが止まっている。木下だ。
「……木下刑事、奴がこちらに!」
「スティーブって呼びな!」
木下は怯える警官を下がらせると、一歩前に踏み出た。
前から、全身白タイツずくめの男が歩いてくる。目線の高さから、身長180cmの木下よりも背が高い。190cmはあるのだろう。筋骨隆々とした身体はボディビルダーというよりは格闘家に近い。実戦慣れしている証拠だ。顔は鼻から上が濃いバイザーに隠れて見えない。そのバイザーは鳥のくちばしのように前方に突き出ていた。子供の頃、テレビで見たヒーローのような格好である。マントさえ着いていれば。
「……私に発砲したのは、君か?」
いかにも、というようなヒーロー声で大逆天は木下に言った。威圧するように目の前で胸を張ってみせる。胸に大きく書かれた紅い『大』の字が目一杯拡がった。
「おうよ」
木下も負けずにリーゼント頭を突き上げ、精一杯粋がってみせる。どう見ても悪人は木下の方だ。
「私に拳銃は効かない……。それに、私は”勝負”の最中なのだ。君達に妨害されるいわれはない」
あくまでもソフト口調で大逆天は話した。それはまるで、子供に言って聞かせるような口調だった。
「あのなぁ……、あんたはここじゃ犯罪者なんだよ、犯罪者! おとなしく警察の言うことを聞くんだよ!」
そう言うと木下は、パイソンを大逆天のアゴに向けて構える。銃口で軽くアゴをつつく感じになった。だが、それが彼の怒りを誘う結果になった。
「……貴様、悪徳警官だな?」
「……あん?」
バイザー越しに大逆天の目がジロリと木下をにらんでいた。木下はサングラスを片手で外しながら、「何がなんだかさっぱり」というような顔をする。
「とぉ!」
突如大逆天はバック転で後ろに退くと、構えのポーズを取った。右手を高く挙げ、声を張り上げる。
「天に大逆、地に反逆! 己が信念のまま、唯一つの道を進む者! 大逆天、ここに推参!!」
寸分の隙もない決めポーズであった。ついつい周囲の警官も見とれてしまっている。
「な、何だ、こいつは!? 正気か……?」
「言いたいことは、それだけか?」
唖然とする木下に向かって、大逆天は猛然とダッシュした。眼前で鮮やかに飛び上がると、月面宙返りを決めてカマロの屋根の上に降り立つ。カマロの屋根はべっこりと凹んだ。 「お、俺の、あと18回もローンの残ってるカマロが……」
「……そこの悪徳警官、私と勝負だ!」
愛車のダメージに意気消沈する木下を完全に無視し、大逆天は言葉を続ける。そこでようやく我を取り戻した木下は、パイソンの銃口を再び大逆天に向けた。怒りで手が震えている。
「公務執行妨害と器物破損、警官侮辱罪もおまけにくれてやる! ……逮捕だ!」
言うが早いか引き金を引く。弾は大逆天の顔をかすめて飛んだ。大逆天はそれを勝負の合図と受け取ったのか余裕の笑みを浮かべ、意味もなく白く光る歯を見せる。あくまでも本人は爽やかなつもりらしかった。
「大逆天、キィィィィィーックゥッ!!」
カマロの屋根を蹴り、一跳躍で木下の頭上へと舞い上がる。そのまま急降下して、突き出した右足を彼の顔面へと叩きつけようとした。が、木下はそれを察知したのかさっと身を翻すと近くにいた警官の後ろに隠れる。哀れ、身代わりになった警官は何を言えぬまま顔面へまともに蹴りを受けた。もんどり打って地面へと崩れ落ちていく。
「……仲間を盾にしたか。ふむ、見所のある奴……」
「そ、そういう問題か……?」
周囲の突っ込みも意に介さず、大逆天は攻撃の構えをとった。木下との間合いは十分にある。
「今度はこっちの番だぜぇぇぇー!」
木下が三度パイソンを見舞った。高速で打ち出された強力な弾が、一直線に大逆天を目指して突き進む。危うし、大逆天。
「……奥義! 大逆天、ビィィィィィーッムゥッ!!」
突如、周囲に閃光が走った。誰もがその輝きに視界を失い、咄嗟に目を覆う。そして次の瞬間、ようやく見えてきた光景に誰もが驚きの色を禁じ得なかった。
「……ううう……」
出血した右肩を押さえ、地面に倒れ込んでいる人影がいる。木下だ。そして、大逆天の右手には黒光りするパイソンが握りしめられている。これは一体どういうことか?
「大逆天ビーム……。これを浴びた者は、私と状況が逆転する。そう、まさしく大逆転の必殺奥義! 悪徳警官よ、残念だったな……」
そう言うと彼はパイソンを投げ捨て、動揺する警官隊を後目にビルの谷間へと消えていく。その行く先は誰にも分からなかった……。
荒野には、風が残した幾筋もの砂の流れだけが残されていた。
見渡す限り、何一つとて動くものなき荒野。
しかし、その中に一つだけ微かにうごめく物があった。
「ふえ〜ん、どっちが街の方角なのか分からなくなったですぅ〜……」
それは、確実に迷子となっていた。
次回予告
砂塵を越えて、来る者あり。
危うし、大逆天?
追っ手は地獄の死者か、はたまた天国への誘いか?
造られし生命。その名はノケモン。
次回、『巨大なるもの』
「テレビを見る時は部屋を暗くして画面に近付く。これぞ、大逆天」
続く