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Error of Hourglass
葉介

   2

 高層ビルに挟まれた路地の薄闇に、いくつかの足音がこだまする。わずかな隙間から差す光が、その何人かの走る姿を一瞬だけ浮かび上がらせた。
 アレックスの鼻先を、閃光がかすめる。とっさに身をのけぞらせてかわしたが、足元の何かにつまずいて体勢を崩した。隙を突いて、男は路地の奥へと走る。アレックスは膝を突いて身体を支えると、犯人との距離を測った。路地の角へ飛び込むにはまだ遠い。拳銃を水平に構えて叫んだ。
「止まりなさい!」
 男は、硬直したようにその場に立ち止まった。荒い息で上下するその肩を見据えながら、彼女は立ち上がった。
「ナイフを捨てて。壁に両手を突いて」
 背中を向けたまま、犯人は右手に持った獲物を地面に落とした。それから指示通りゆっくりと壁の方へ向き直るのを見て、彼女の手の力が無意識のうちにふっとゆるんだ。その犯人の目が、ちらっと彼女の方向をうかがう。
 男の左手がひらめいたと思った瞬間、彼女は反射的に身を投げ出していた。一瞬遅れて、白刃が彼女の頭のあった場所を貫く。
「チッ」
 犯人の声を間近に聞いて、アレックスはその場から跳び退いた。ナイフが三度空を切る。一度落としたナイフを拾ってから、もう彼女の目の前へ飛び込んできていたのだ。アレックスは素早く起き上がると、勢い余ってよろけたその肩ごしに、人が駆け込んでくるのを見た。
「ロブ!」
 彼女は犯人の気を外らそうとして同僚の名前を叫んだが、相手は動揺のかけらも見せずにナイフを振り上げる。右手をかざし、彼女はその手に持っている物で身をかばおうとした。
 派手な金属音が立ち、アレックスの手から拳銃がもぎ取られた。
 彼女は思わず目を閉じた。
 ──やられる!──
 一瞬、「バキッ」という鈍い音と「ドサッ」と何かが落ちる音とが交錯した。だが、アレックス自身には、何の変化もない。目を開くと、目の前には犯人の代わりに彼女の同僚が立っていた。
「目標を逮捕。これより連行します」
 地に伏した男の手首に手錠をかけると、ロブ・ダンチェッカーは早口でインターカムにそう告げた。アレックスを見上げて、にやりと笑う。
「片付いたな。……ほれ」
 ロブが傍らをあごでしゃくってみせた。そこにアレックスの拳銃が落ちている。彼女はそれを拾い上げ、まじまじと見つめた。
 ナイフがそれにぶら下がっている。拳銃のフレームがぱっくりと裂け、スライドにまで刃が食い込んでいた。ナイフの握りをつかんで引き抜き、良く調べてみる。注意深く刃の部分に触れてみたが、変わったところはない。高周波ブレードの類でもないようだった。
 敢えて違いを言えば、投げて使うには多少サイズが大きいが、見た目よりも軽く感じられるという点だ。しかし重さが軽減されているということは、振り回したときの威力も軽減されるということでもあるのだが……。
「行くぞ、アレックス」
 ロブに呼びかけられて、アレックスは考えを中断させた。とにかく、証拠品として提出しよう。彼女はそう考え直して、同僚の後を追った。
 男の罪状は、窃盗・傷害罪及び殺人未遂、そしてその出身は、トラベラーだった。


 大学の構内は、大きな公園になっている。中央に噴水の設けられた広場までやってくると、メイツは辺りを見回し、それから時計を見た。空いているベンチを探して腰を下ろす。
 ちょうど昼休みの時間に来合わせたらしく、公園は生徒達でにぎわっていた。今は寒季で肌寒いが、凍えるほどではない。空は相変わらず雲一つない快晴だった。
 空に白く溶け込むように、円い月があった。メイツはそれが何かいつもと違うように見えて、目を凝らしてみた。しかし特に何が、というふうに断定できるものはなかった。雰囲気だけが、どことなく違う。そんな感じだった。
 自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がして、彼は周りを見た。噴水の向こう側から、誰かが走ってくるのが見える。彼が待ち合わせていた人物だった。
「すまんな。ちょっと雑用が入っちまってたんだ。急いで来たんだが」
 白髪混じりの頭を掻いて謝りながら、その初老の男はメイツの隣に座った。コートのポケットから缶コーヒーを取り出してメイツに渡す。それを受け取って、メイツは言った。
「いいですよ、今日は暇なんだから。こっちこそ、単に挨拶のために呼び出したりして」
 彼の友人であるこの男、シグムント・パッカードは、この大学の教授であり、社会学の講師を勤めている。と同時に、B級サスペンス小説の作家でもあった。
「で、どうだその後? アレックスは向こうでうまくやってる様子か」
 彼はまた、アレックスの恩師でもある。当時から売れない作家を続けていたらしい。彼女とメイツが出会ったのは、セキュリティに所属してからである。シグムントは今でも、教壇の上で小説を書くという恐るべき教授だ。
「大丈夫らしいですよ。ただ、仕事が押しててろくに眠れないとか」
「大変だな。それでまたもや、本部から応援の派遣というわけか」
 そう言いいながらシグムントは、缶を両手の中でもてあそんだ。
「妙なことが一つある、とアレックスが言っているんですよ」
「何がだ?」
「このところ急増したあの地域の犯罪件数、大部分はトラベラーの出身者が原因だとか」
「例の独立民族か」
 トラベラーが宇宙から来たという事実は、一般には公表されていなかった。国連機関であるメイツ達セキュリティも、彼らは民族自決をその基盤に置く独立国家だ、という一般公表しか知らない。
「まあ、ぽっと出の新興勢力だ。始めからうまくいくはずもないな。君達が抑えていくしかないだろう」
 シグムントはそう言って、冷めてしまった最後の一口を飲み込んだ。
「しかしトラベラー側からの応援が期待できないんじゃ、こっちも気合いが入りませんよ」
「フムン」
 メイツは空になった缶をひねって潰すと、小さく折りたたんだ。シグムントも同じようにして缶を潰した後、少し考えるような顔で黙り込んだ。
「……さしづめ、こういうところだろう。境界線から出た犯罪者は国民扱いしていない。そして逃げ込んできた元国民は、亡命者だから干渉させない」
 メイツは黙ってうなずく。どちらからともなく、二人は立ち上がった。
「それじゃ。しばらく会えなくなりますが」
「うん。早く行って、彼女を元気づけてやるんだな」
「わかってます」
 短く言葉を交わしたあと、彼らは別れた。


 荒涼とした茶色い大地の果てに連なる山波が、透き通った群青色の空との境界を分かっている。それを見ると、改めてここが地球であると思い知らされた。建設地の視察を終えてキャンプ地へ戻る道を歩きながら、シエラは地平線を眺めていた。
 国連の指定地域に最後の植民を終えてから、一ヶ月が経っていた。工事は順調に進み、土台造りの段階はあらかた終わっている。土木作業のための建設機械などは、船から降ろした物だ。食料の循環システムも、この土地で利用できそうである。このままいけば、自給自足の体制は早いうちに整いそうだった。しかし、不安の種がないわけでもない。
「シエラ!」
 後ろからかけられた声に気付いて立ち止まると、彼女のすぐ横に車が止められた。ウインドウが開いて運転席から青年が顔を出した。
「リーか。そっちはもう終わったのか」
「ああ。これから帰るところだ。乗れよ」
 リー・テフはそういって気さくな笑顔を向けた。シエラが助手席に乗り込むと、車は軽いモーター音を立てて再び走りだす。
「こう空が青いと、目にしみてしょうがないな」
 彼はシエラより一つ年下で、大気中の空を見たことがない。『アコンカグア』には、空と呼べるようなものはなかった。もっとも、シエラが故郷の情景を覚えているはずもないが。
「雨というやつも降るんだろうか」
 リーはそう呟きながら、フロントガラスの透過率を調整した。空にはいく筋かの絹雲が薄くたなびいているばかりで、とても雨が降る天気とは思えない。
「このまま、何事もなければ良いが……」
 活気のあるキャンプ地の生活風景を眺めながら、シエラは独りごちた。
 活気があるのはいい。しかし……。
「何を言うんだ、シエラ」
 彼女の独り言に、リーは大げさに驚いてみせた。そして芝居じみた口調で話し出した。
「我々は安寧な日々をむさぼるわけにはいかない。これからトラベラーはこの地球を舞台に繁栄していくだろう。だが、自由な繁栄を妨げる者がいる。放ってはおけない。今後の歴史を語り継ぐ子孫達のためにも、俺達が平和の基盤を作り上げなければならない……。そうだろう?」
「前を見て運転しろ」
 シエラは答えず、彼の言葉を受け流した。
 リーは以前から芝居がかった言葉が好きだったようだが、最近はカーマインの気に当てられているらしい。そう思って、シエラはため息をついた。
 プレハブの大きな建物の前に車を止めて二人は降りる。現在のところ、施政はこの仮屋から行われているのだ。そして中へ入り、廊下の突き当たりにある執務室の扉を叩いた。
「今戻ったか、二人とも」
 声は背後からかけられた。二人は振り向いて、声の主を見た。
「ヨハン。監督官殿は、なにやら御不在のようだが?」
 彼女の皮肉めいた言い方にリーが少し眉をひそめたが、それは無視した。カーマインは現在、植民地の統治を評議会から任されている。議会に取り入って権力を得た、と言わんばかりの口調である。
 ヨハンは苦笑するでもなく、黒いあご髭に手をやっていた。
「そのカーマイン殿は、先刻から出かけている。隣国の空港へ向かった」
「船へ行ったのか?」
 ヨハンは黙ってうなずく。
 もちろん、ここにはまだ空港と呼べるような施設はない。宇宙港ならなおさらである。
 『アコンカグア』は今なお月の裏側にあった。あまりにも巨大なその人工物は、国連の要望で地球から隠されることになったのである。月面勤務の人間には箝口令がしかれ、トラベラーの正体は隠匿された。今は『アコンカグア』が軌道遷移をするためのブースターの取り付け工事がなされており、時期を見て月面に着陸・解体される予定になっていた。
 そこにはまだ、代表評議会のメンバーを含む官僚達がほとんど残っていた。開発はカーマインに全て任せ、彼ら自身は保身を決め込んでいるわけである。親衛隊の筆頭であり、植民地のほぼ全戦力を指揮する軍事力を持つカーマインとのつながりを求めている者もあった。そういった方面からの働きが、カーマインに権力を与えていることは間違いない。


 ナイアス・アコンカグアは、世襲である評議会議長の役職名である。集権的政治体制の頂点の座を示す名だが、独裁者と言うほど、その権力は融通のきくものではなかった。議員の権力の扱いについては厳しい戒律が明文化されており、事実上その法を変更する事は不可能だからだ。
 ジョージ・ルースは三十七歳の若さで二代目ナイアスの椅子を亡父から継いだが、厄介な時期に損な役を押しつけた父を、彼は恨んでいた。本来なら彼は、ただその椅子に座って、市民から徴税した資金が正しく分配されていくのを見守っているだけで良かったはずなのだ。新天地に人々を導いた名誉ある責任者としてその名は後世に残り、彼自身の人生は幸福のうちに結末を迎えることができただろう。
 今までの実績を見れば、彼が内政を誤ったことはないと気付くはずだ。彼に欠けていたのは外交能力である。いや、組織そのものに欠けていた、と言い直した方がいいだろう。誰が想像し得ただろうか、楽園と信じられてきた地球に、彼らと対等以上の存在が全地上に文明を築いていようとは。
「寒いな」
 評議会首脳メンバーを前にしたジョージは、手元の資料の角をそろえながら、一言そう言った。
「室内の温度は、調節してあるはずですが……?」
「違う、地球のことだ」
 首を横に振って、まとめた資料をテーブルに置く。彼は続けた。
「報告によると、地球の平均気温は我々の住む世界とは大きく違っている。十度以上だ! ……トラベラーにとって、住みにくい聖地ではあるな」
 宇宙船『アコンカグア』内は、排熱機構の関係から、平均摂氏二十四度と、かなり温暖な環境である。同席していた研究者グループの一人が立ち上がり、地球が今氷期にあること、次の間氷期に入るのはおよそ五万年後であることなどを説明した。
「気の遠くなるような話だな、カーマイン」
 ジョージは苦虫を噛み潰したような顔で説明を打ち切らせ、カーマインに発言を示唆した。彼は足を組んで座ったまま、自分の意見を述べた。
「しかし我々は現にここにいるのです。全く居住不可能と言うわけでもないかぎり、地球に根を降ろすべきだと、私は考えているのですが」
 そう言ってカーマインは、植民地の住民からは今のところ、これといった苦情はないことを説明した。カーマインが口を閉じると、ジョージがその後を継いだ。
「問題は、この置かれた状況をどう利用するかだ。コピーを聖地から放逐するにも、我々は武器を持たん。しかもあれだけの領土では……」
 トラベラーが植民した土地は国連からの租借地なのだが、ジョージは敢えて「領土」と称した。トラベラーの世論は大きく分けて二つある。コピーに対しての姿勢で、敵対するか、共存するかだ。ジョージは多数派である前者で、後者はもはや極少数派でしかなかった。今やトラベラーは、ほとんどがコピー蔑視の色に染まっている。
 室内はしばらく沈黙に包まれた。元々から外交の手本を持たない彼らは、コピーに対して有効な案を捻出することができなかったのである。一人の例外を除いて。
 その例外は、頃合を見計らって沈黙を破った。
「ところでもう一つ、私の方から報告があるのですが……」
 周囲の視線がカーマインに集まる。彼は得心顔でうなずいた。
「これは、地球の情報を整理している際にどうも見落とされていたようなのですが、トラベラーの持つ鉱物資源である『メラタイト』が地球にはないことがわかりました。それと、それに伴う素材加工技術もです。ナイアス、これがどういう状況を生むか、おわかりでしょうか」
 『メラタイト』はトラベラー国家の中では硬質素材として重要な位置を占めている。宇宙船が抱える鉱山隕石の含有量は、鉄ほど豊富ではないが、トラベラーの金属加工技術は、それによって発展したと言って差し支えないだろう。彼らの持つ武器、つまり剣などの刃物は、大体それでできている。カーマインの腰に吊るされている得物も、その範疇からは洩れていない。
「……私はこれをもって、経済とその他の発展の材料としたいと考えています」
 カーマインはそう説いたが、彼の場合、「経済」よりも「その他」の方に重きを置いているのだった。
「要するに、メラタイトでコピーと交易しようと言うのだな?」
 評議長の質問に、カーマインは軽くうなずいて見せた。
「しかし我々の存在は、一部のコピーを除いては伏せられているはずではなかったかね……」
「無論、コピーの民間企業と直接の取引はできません。しかし、こういうものがあると知れば、彼らの方から話を持ち出してくることでしょう。つまり、国家間の取引という形で。言い訳は彼らに任せればいい」
「コピーに、我々の持つ唯一と言ってもいい優位を、与えてしまっては危険ではないか」
「先程も申し上げたように、メラタイトの加工においてもトラベラーの技術は進んでいます。特に、コピーの技術力では、メラタイトの完全な純化は不可能です。その点で、コピー共を出し抜くのは容易なことだと思われますが?」
 最後の疑問詞を投げつけるように、彼はジョージに振り返った。若きナイアスは、腕を組んだ姿勢でしばらく考え込んでいる様子だったが、カーマインに促されるとその腕を解き、こう決断した。
「……わかった。君に任せよう。よろしく取り計らってくれ」


 スペースプレーンの機内席で隣り合わせた女性は、名をグース・カイヤと言った。薄い色の金髪を肩まで伸ばしている、メイツと同年代くらいに見えた。機体は今、軌道に乗るために上昇を続けている。窓もない機内では景色を眺めることもかなわず、二人は最近流行っている音楽や興味を惹くような事件などの、ごく有り触れた雑談を交わしていた。
「ところでメイツさん。さっき警備員だと言いましたけど、もしかしてセキュリティの方なのですか?」
「ええ、まあ……」
 何でもない会話なのに何故かぎこちなく感じるのは、多分この使い慣れた敬語のせいだろう、とメイツは曖昧に応えながら思った。やや崩した調子の敬語で喋っているのは、彼女の気さくさから来る配慮だろうか。それほど彼女の口調には、てきぱきした感じがあった。
「仕事の話を聞かせてくれませんか?」
「大したことはありませんよ。俺が担当してたのは、わりと平穏なところだったから。退屈なだけです」
 半分は嘘である。数年前には銃撃戦にまでなった事件を経験したこともある。彼自身も右手に重傷を負い、今は義手を着けている。もっとも、サイボーグ技術の発達のおかげで手指は思い通りに動かせるし、見た目も違和感はないが。ともあれ、人の死ぬような話をメイツはあまりしたくはなかった。
「平穏、結構なことじゃないですか。それに、自分から何かを起こそうとして行動するなら、すぐに退屈なんて忘れてしまいますよ……、まあ、行うは難しですが」
「へえ。それじゃあなたは、何かを求めて行動している?」
 そう聞き返すメイツに、彼女は困ったように肩をすくめて見せた。
「いいえ。私も、退屈な日々に甘んじて身を任せている者の一人です。他人に大きなことは言えません。ただ、心構えのようなものです」
「なるほど」
 それまでの話題をそこで打ち切ると、グースは彼に向かって尋ねた。
「ところで、今回は転属なんですか?」
「ええ。一応、応援という形で一年ほど向こうに落ち着く予定です。過ごしやすい気候の土地らしいし、結構楽しみですよ」
「ペームルートでしたね、いいところですよ。そんなに寒くならないですし」
「そう聞いてますよ。しかし、最近の治安の悪化は激しいらしい」
「ええ、そうですね……」
 話が途切れ、不意に沈黙が訪れた。今ごろはもう、この機体は軌道上を加速中のはずである。速度はマッハ二〇くらいは出ているはずだが、加速自体は緩やかなため、大したGは感じられない。
「総合保安局の方なら、今後お世話になることもあるかも知れませんね」
 ぽつりと、グースが独り言のように呟いた。
 国連総合保安局と言うのが、セキュリティの正式名称である。要人の警護や治安・秩序の維持を行う組織なのだが、セキュリティという通称が定着したため、正式名の方は一般にはほとんど憶えられていない。それはメイツ自身も同様だった。しかし彼女に言われて、またその官僚口調もあってか、メイツは一つのことに思い至った。
「貴女は、政府の関係者なのですか?」
「ええ……、議員の秘書をやっています」
 ややあって、彼女はそううなずいた。
「はあ、そうですか」
 政治家にあまりいいイメージを持っていないメイツの返事は、自然と気の抜けたような調子になった。グースはそれを見抜いたのか、困ったように苦笑した。
「あまり……、政治にいいイメージを持ってはいないのですね」
「まあ、俺は一般課だから。市民の愚痴を聞いている分にはね」
 国連が悪政を行っているということは全くないのだが、近年の施政は停滞しており、未改善の問題が残っている区画からは、住民の苦情が出始めている。さらにこの停滞期の影響か、国連議会全体のモラルも低下しているようで、市民の人気が下がっているのは当然のことだった。
「今の国連に力がないのは事実です。市民の苦情もわかります。でも、今最優先に対処しなければならないことが……、そこまで手を回してはいられない状況なのです」
「政治が民衆の面倒見を先送りにする理由なんてあるものか。そういうことを考える政府は、大体が戦争に訴えるんだ。幸い、今は相手なんかいないがね」
「それは――」
 グースは不意に口ごもったが、メイツにはそれが、何か言いかけて止めたように見えた。少しの間をおいて、彼女はこう言った。
「でも、貴方は、政治という行為自体に疑問を持っているわけではないのでしょう?」
「現行の議会に限って、と言うのが筋だろうが、実は最近は、政治そのものを疑っている」
「あら、でも貴方の言う、戦争をする相手のいない社会をつくったのは、政治の力ですよ。それを否定なさるんですか?」
「ん……、それはそうだけど」
 確かに、国際連邦が、国家間の利害、民族間のイデオロギーの対立などの障害を越えて今の地位を得たのは、政治力による結果だった。メイツはそれに対しても思うところはあるのだが、それはまだ漠然とし過ぎていて、ここで話すことはできなかった。
「……そうだな」
 結局、口に出してはそう言っただけだった。


 赤道付近に位置するペームルート市は夏の季節の温暖な空気に包まれている。北半球の四分の一が氷床に覆われる氷期にあるとはいえ、この辺りの夏はまだ暑いと言えるものだ。メイツは厚手のジャケットを脱いで腕にかけ、サックを持ち直した。
「それじゃあ、私はこれで」
 グースは彼に向かって軽く頭を下げると、荷物のトランクを押してロビーの人混みの中へと入って行った。
「さて……と」
 メイツはぐるりを周りを見渡した。迎えが来ているはずである。ほどなく、雑踏の中に見え隠れする見慣れた黒髪が目に入った。手を振っている。
「メイツ!」
 アレックスが大声で彼の名を呼んだ。彼女の隣には、三十そこそこに見える体の大きい男が立っている。おそらく現地のセキュリティのスタッフだろう。メイツが彼らの前にたどり着くと、アレックスは何か怒ったように眉を寄せてみせた。
「メイツ、さっきの人……、誰?」
「は……? あ、いや、単に飛行機の中で知り合っただけだよ」
 不意を突かれて、メイツは少しうろたえた。
「だから言ったろ、男はわからねえって」
 そうアレックスに声をかけたのは、隣に立つ大男だ。それでメイツは、アレックスの嫉妬が演技であることを見抜いた。さりげなく彼女に合わせて、驚いてみせた。
「おいおい、お前こそ、こいつは一体なんだよ?」
 シャレが通じたからか、アレックスはくすくすと笑いだした。
「あたしは冗談だけど、こっちの人がしつこくてねぇ」
「かーっ、何言ってやがんだ。まあ、仕方ねえ。真打ち登場と言ったところで、俺はおとなしく引き下がるか」
 男はおどけた表情で両手を広げてみせる。それからメイツに手を差し出して言った。
「ようこそ、ペームルートへ。俺は地元スタッフのリカルド・トーヴィだ。仲間うちではリックで通してる」
「メイツ・シンだ。今日から厄介になる、リック」
 他人のテリトリーに入ったなら、それなりの仁義を尽くさねばならない。メイツは彼の手を固く握り返した。
「じゃあさ、本部に行く前に、三人でなんか美味しいもの食べに行こうよ。リックのおごりで」
「あっ、こいつ、ちゃっかりしてやがる。……あんまり高いもの頼むなよ」
「やった!」
 制服姿のままの二人がそんなことを話しながら外へ向かって歩いて行こうとするのを見て、メイツは慌てて言った。
「お〜い、もしかしてサボってるのか? 職務放棄じゃ……」
「堅いこと言いっこなし!」
 メイツは呆れた様子で、二人に付いて空港を出た。空を見上げると夏の太陽がまぶしい。その時になって彼は、空を見上げる癖がこの頃少なくなったということに気付いた。最近はその代わりに、自分がこの土地に来るという、予感めいたものが強くなっていたのだ。


To be continued.


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